この広告はシリーズ化されていて、写真家の作品とウンチクやエピソード、そして絡めて一眼レフを売るというスタイルを暫く続けていた。
モデルだったり自然物だったり、こんな写真のように何かメッセージ性があるような写真が取り上げられた。
それでも、写真家なるものの実体というのは何かよく分からないものがある。
今のデジタルの時代になって、「写真家の存在意義」というのが薄まっているということは事実だろう。
今はブログでご自分の写真を掲載している人もいるし、写真は珍しいものではない。
写真を後生大事に抱えるという時代でもなくなった。
こんな写真家のポーズのように、言ってみればカメラは彼らの「オモチャ」、そんな時代ではない。
昔はカメラを抱えて商売ができた。カッコや言い訳があれば商売になった。
それは上手くやれたという感じだったんだろうか。
そういえばこのキャノンの広告シリーズにはなぜか「料理写真」というものが使われたことはなかった。
女性モデル、スポーツ、風景、生物、そしてこんなメッセージ性のある写真。
それらのジャンルはあったが、その中に料理写真はなかった。
今のブログ隆盛の現在だから特に気がつくのだが、写真家の中では料理写真を撮る人は別だった。同じプロでも疎外されていたように思える。
それはとても不思議なことだ。
料理写真家はキッチンと撮影のためのセット、器などの小道具を取り揃えたスタジオを持っている。
そうして彼らが「表現」した写真はこんな広告写真のように取り沙汰されることは少ない。
今は人のブログを見ると旨そうな料理写真がよくある。実にうまく撮れているものがある。
その人の晩餐が思い浮かび、会話が浮かんでくる。
なぜそういうものが昔は表現として評価されなかったのかと思う。
何も写真なんて難しい顔をで見るものでもないはずだ。
しかも我々の誰にでも身近なモノと言ったら料理ではないか。なぜそこに「プロ」というものがいないのか。
プロの料理写真家がなぜ別枠のように扱われているのか。
そこにはある種の欺瞞の匂いを感じないではおかない。
そう考えると、こんな広告からはメーカーが消費者をどう想定していたかが透けて見える。
カッコよく写真を撮り、カッコよく写真を扱う。
写真を趣味とすること、それは言い訳が必要だ、と。 それには特定のジャンルでなければいけない。
そうでないと消費者、ターゲットには届かないと考えていたということだ。
つまり料理を撮ってみたいという消費者のニーズなどメーカーはこれっぽっちも考えてもいなかったということ。
写真は女性やスポーツ、風景の一瞬をアクティブに狙い打ちするもので、どうか君もやってみないか、というわけである。
一眼レフにカネをかけるような人は写真への意識が高い。
だから料理なんかは撮らない、と。
そんなことを言っていたからカメラはスマホに取って代わられてしまったのか。
オモチャにカッコつけや言い訳が必要だなんて間違いだったはずだ。