「PLAYBOY」、これを「女たらし」なんて訳したら今でも失笑ものだろう。
この世にはプレイボーイなどいなくなった。このブランドが確立したために、その言葉を使うのがはばかれるほどになってしまった。
それほど強力なブランドを作り出したことは、20世紀のひとつの奇跡であったと言えるだろう。
プレイボーイは、ヒューヘフナーが作り上げたポルノ王国である。
今の時代、ヌードグラビアがセンターを飾る程度の雑誌を「ポルノ」と呼ぶには引け目があるが、当時の昔はプレイボーイ誌はポルノ雑誌とされていた。
早いうちから女性のヌードを前面に出し、粒ぞろいの女性たちをはべらせたハーレムのような姿がプレイボーイ帝国の看板であった。
毎月のベストプレイメイトを選び、バニースタイルというラスベガス・カジノのウェイトレスのスタイルをさせ、男たちを慰めた。
ベトナムで、彼女たちが兵士を慰問したこともある。
プレイメイトたちは、アメリカの男たちが求める美女の象徴となった。
そして、プレイボーイ誌は同時に「大衆ジャーナリズム」というものを輝かせた。
クオリティペーバーと呼ばれる新聞報道では決して流されないニュースの暗部に切り込んだジャーナリズムがそこにあった。
レポートと呼ばれる潜入取材や深い見識に基づく取材は、読み応えのある高品質なジャーナリズムだった。
不思議なことにヒュー・ヘフナー本人は、こうした評価されるべき社会派の面についてほとんど誇って見せたことがない。
彼自身はあくまでプレイボーイというブランドを「ポルノ」としていたように見える。
カート・ボガネットジュニアなど、歴史に残る作家さえ寄稿し、多くの優れたジャーナリストたちがプレイボーイ誌にレポートを掲載した。
ただのヌード雑誌ではない、そんな二面性が読者男性らの心をくすぐった。
難しい顔をして世情を憂い、社会の問題に怒りを覚えながら、一方で女性の胸をまさぐる。
もう片方の手にはブランデーグラス。女性はソファの肩に腰をかけ、ガウンをはだけている。
男はスケベな顔などしていない。欲望を満たしながら義憤に燃える。
それが男性というものだ、と。
ヘフナーは、理想の男性像をそんな風に見ていたのかも知れない。
時代はめぐり、やがてプレイボーイ誌は凋落してゆく。
豊胸した女性は採用しないとしていたプレイボーイ誌であったが、今、ネットのプレイメイトたちのチャンネルはそのほとんどが手術を受けた女性たちだ。
世間ではストレートな露出が当然のようになり氾濫し、また逆にセクシャルな訴求が社会問題化され、プレイボーイというブランドは狙い撃ちにされるようになる。
そうして、ジェンダー撤廃の波にも押されていった。
近年、プレイボーイ誌は紙面から女性ヌード掲載をやめるという宣言さえしている。
一時、すっかり弱りきったプレイボーイ帝国を盛り返したのは娘であった。
娘はプレイボーイのロゴをパテント販売するという世界戦略を大胆に打ち、大いに成功する。
今でこそヒューヘフナーの邸宅が差し押さえられ、売り出されているなどと斜陽の話題には事欠かないが、まだプレイボーイ帝国は死なずといったところ。
絶頂期のピンクレディがアメリカ進出を図り、そこで流れたヘフナーとホットタブに浸かっている写真にはなぜか日本の男性はがっかりしたものだ。
日の丸アイドルがアメリカ制覇を果たしたという印象よりも、アメリカのポルノ王に占領されたという印象の方が強かったかも知れない。
日本には集英社から「週間プレイボーイ」という雑誌があるが、パチモンである。
本家プレイボーイ誌の影響を受けているところが随所に認められるが、アメリカンな洒落た感じはない。
プレイボーイ誌は同じ集英社から日本語版として和訳編集されたものが刊行がされていた。
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