バブルに突入する頃、スキーブームというのが偶然にも花開いた。
なんの偶然か、日本全国で高騰していった地価はスキー場周辺のリゾート開発を後押しもした。
田舎の山村がスキーリゾートに変貌していった。
ゲレンデには金がかけられ、スキー客を呼ぼうと地方が競った。
そうしたところでの働き手たちは農村の若者たちであり、大いに雇用が創出された。
この広告、共同三社の広告のようだが、そんなに日本にスキーメーカーがあったかと驚く。
ドイツスタイル、アメリカンスタイル、フレンチと、それぞれのスキー板には異なったテイストがあったらしい。
この広告の女性の顔のイラストは意味不明だがw、この広告を見て、自分はこっちのタイプだろうとかワクワクするものがあったのだろう。
こういうカタログ的なものというのは好きな人にはこたえられないものだ。
クルマでも釣り道具でも何でも、関心のない人にはどうでもよい無味乾燥なものでも、趣味があれば宝石のようにキラキラとして見るだけで楽しくなるものだ。
その道具を見るだけで滑走する夢を見られたのだろう。
もともとスキーなんてもとは金持ちの道楽のようなもので、揃えれば道具は高く、リフトだの宿泊だのとこれまたカネのかかる高い遊びだった。
なにしろ道具をレンタルしようとすれば高いし、自前の道具を運ぼうとすれば高くて荷物は重い。
スキー靴もストックも、スキー板も、そしてスキーウェアも必要だ。当時のカネで全部揃えて10万だの20万だのという話はよく聞いた。
揃えれば揃えたで、今度はどうして運ぼうかということになる。
クルマで出かけるならこれまたチェーンやらなにやら準備がかかる。
その後のこと、スノボードがブームになるが、スノボに飛びついた連中はあまりそうした悩みはなかった。
スノボは道具は少ないし、運ぶのも容易だった。
それこそ道具ひとつで遊びに行けた。
だからウェアも街着のようなものが流行した。
スノボにはスキーウェアのような仰々しさはなかった。
わざわざ着替える必要さえないようなスタイルはスノボの手軽さをますます強調し、スノボがゲレンデの主流になっていった。
しかし、あれがウィンタースポーツの、ゲレンデ遊びの何か格調高いところを消してしまった気はする。
結局、スノボに飛びついたチャラい連中はすぐに飽きてしまった。
もうその時はバブルは崩壊していたから経済環境からすれば無理もなかっただろう。
短いスノボブームは、廃れてゆくスキー場が暫く持ちこたえるための時間稼ぎにはなったはずだ。
道具立てをきちんとして、用意が色々と必要なものというのは長く付き合える趣味だ。
裾野の広さというのはその世界を支える。
手軽にできるものというのはそうは長続きしない。
だからテニスでもゴルフでも、常に手回り品がつきまとい、道具にもカネをかける。
それは趣味への愛情のバロメーターだ。
手軽に始められたものであっても、長く続けてゆく間に色んな用意をするようになり、荷物が増えてゆく。
だから尚更、ブームが去った後は回復は難しいのかも知れない。
それだけ溜まったものを一度は処分してしまい、また買い揃えるとなると徒労だ。
コロナで尚更だが、あまり見ることのなくなった白い雪の積もるゲレンデは、これからどうなってゆくのだろうか。