<$BlogTitle ESCAPE$> rollitup 広告批評 

バブル

冬とクルマ


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 「クルマで初雪を見に行こう」、なんて、この広告は軽く呼びかける。

 ちょっとそんな気になってしまうような広告だ。

 雪の里、火の見やぐらがある寒村を写しているから、どうしたってこの広告は「都会モノ」へ向けたものなのだろう。


 この広告で誘われていることは、普通の感覚になっていたのだろうか。


 移動手段としてのクルマは、いつからそんなちょっとした思い付きや気まぐれが満たせるほど、手軽なものになったのだろうか。



 この広告の時代の前には、雪国で暮らす人々ならいざ知らず、都会暮らしや暖かい地域の人たちがわざわざ雪の道へ出かけるということはほとんどなかった。

 それはリスクであったし、無謀なこととされた。

 「経験がないのであればやめたほうがいい」、まるで登山をする初心者に忠告されるようにドライバーは言われたものだ。



 それはわざわざトラブルを抱えに行くようなものだったし、たとえ必要があっても「無理をしないで」なんて話に必ずなったものだ。



 日本の地方にはそれぞれの暮らしがあり、雪国の人々にはそこで暮らす智恵とノウハウがある。

 それを、わざわざ都会からクルマで出かけて行けば、彼らとはスキルが違うのは歴然としている。

 彼らが困難に直面することは目に見えていた。

 自然は厳しいのは今も昔も変わらない。


 ただ、人々の移動が盛んになり、タイヤメーカーは「大丈夫だ」と、こうして人々の移動の需要を喚起した。


 クルマという「自由」があり、移動手段の可能性は無限になったのだ、ちょっとした思い付きで、雪を見に行ってもいいじゃないか、と。

 
 それはいつの間にか、怖いもの知らずで無謀なこととはされないようになったかも知れない。


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 しかし結局、タイヤメーカーとて雪道をドライブするのは結局は自己責任だと知っていた。


 どんなにタイヤが高性能であっても、1トンを越える人間が押すことさえままならない鉄の塊とともに雪道を行くのは不要不急であれば無茶なことだ。


 この広告に訴求力があったとすれば、そんなリスクをわざわざ冒せるほど豊かで浮かれた時代だったと言える。バブルの時代だった。


 やがてこの頃にはスキーブームが訪れ、ゲレンデには都会ナンバーが溢れることになった。

 スキーを楽しむということが、都会暮らしの人々が雪道をわざわざクルマで出掛ける理由にもなった。


 タイヤチェーンのつけかたを知らない人々が困ったり、満足な用意もせずにスキー場に行こうとして立ち往生してしまうなんてことがよく起きた。




 そして今、コロナのせいで外出や旅行がされなくなり落ち着いた暮らしが戻ってきて、我々は不要不急の外出やドライブを控えるようになりつつある。


 しかしタイヤが減らなければタイヤは売れない。

 ここでどんな風に需要を喚起したらよいのか、あるいはまた、まだかつての時代風景にこだわり続けるのがよいことなのか、まだジャッジはできない。


 少なくともバブル崩壊どころか、今回のコロナの感染拡大をキッカケとして、不要の外出にはリスクが伴い、徒な行動は愚かなことだというのが認識されつつある。


 だいたい、初雪を見たくなったら雪国のブログやサイトを訪問してみればいいのだ。そんな時代なのかも知れない。

 今でもそんな暮らしになりつつある。




 最近も降雪のせいで北陸自動車道で400台もの自動車が立ち往生し、クルマが動けなくなり、30時間もの間車内に閉じ込められた人々が出た。


 考えてみれば30時間というのは生命に関わるほどのリスクだ。

 幸いにして行政や救命関係者などの多くの手助けがあり、死者は出なかったが、いつからこうしたことにリスクがないかのように勘違いされ、危険が見過ごしにされるようになったのだろう。


 そして世間は、影でそうした手助けをしてくれる人々の苦労を知らない。


コカコーラ

コカコーラ


 コーク。

 爽やかでアメリカで、とてつもないエネルギーを感じる広告だ。じっと見ているのが怖くなる。


 今、改めて、久しぶりにコカコーラの広告をこうして見ていると、なぜかコークが飲みたくなってくる。

 恐ろしいほどのすり込みが自分にされていたのが判かるのだ。


 あれは確かバブルの頃だったと思うが、ある日のこと、いつものレンタルビデオ屋に行くとサービスでコーラが自由に飲めるようになっていた。

 ボタンを押すとまるで水のようにコーラが紙コップに注がれた。

 コカコーラライトなんてのが登場して、それを有難がっていた矢先のことだった。


 なぜか突然、そこら中にコーラがあふれ出した覚えがある。


 そしてあちこちのファミレスなんかで、ソフトドリンク飲み放題のサービスが始まった。
 コーラは、それこそ水のように飲めるようになったのだ。

 子供の頃、駄菓子屋で、それこそビールか何か貴重な大事なもののようにしてありがたがって飲んでいた頃とはまるで世界が変わった。

 甘い炭酸水、すこしカラメルの味がするというだけの不思議な飲み物は、ただの色つきのソーダ水になった。

 その頃を境にして、もうコーラを飲みたいとは思わなくなった。
 手を出せばいつでも飲めるものをもう飲みたいとは思わなくなった。


 スティーブジョブスをクビにして不振のアップルはCEOをペプシから招いた。
 マッキントッシュを大々的に売るための人事だった。そのCEOスカリーは「色つきの水を売っていたマーケティング野郎」と揶揄されたものだ。

 つまり当時からすでにコーラはタダ同然、その威光などハゲ落ちていたのかも知れない。
 だからあれは必然的なことだったのかも知れない。


 ただ、もしあの時コーラを安売りしていなければ、今も我々はコーラをありがたく飲んでいたのかも知れないと思ったりする。

 それはちょっとゾッとする話だ。




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