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懐かしい広告

オールドスパイスのアフター・シェーブローション

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 何度か紹介しているブランドだが、「オールドスパイス」というブランドの広告。男性用コロンの会社だ。


 昔から広告写真にしても、このボトルの形状にしても、このブランドはいかにも美味しそうで、飲みたくなってしまった記憶がある。

 ライムの色がその味を想像させてしまう。


 しかしこの当時、まだ一般的には「ライム」という果物は日本でそれほどポピュラーではなかった。

 レモンの輸入などで貿易摩擦があった頃でもある。

 昔はレモンぐらいで、グレープフルーツすら少量しか輸入されなかった。

 オレンジはミカン農家の強い抵抗でいつまでも輸入解禁が引き延ばされた。


 だから男性用コロンの「香り」としてライムを強調しても、当時はそれほど誤解は受けなかったのかも知れない。

 今なら柑橘系のものはチューハイなどですっかり普及しているから、きっと強い抵抗があるだろう。


 「柑橘系は日本人には好まれない」などと今でも言う向きがあるが、そうだとしても現在では柑橘系の果物や外国産果物はごく普通のフルーツとして定着している。






 また、これはオールドスパイスのブランドのラインナップの中でも「アフター・シェーブローション」ということで特に注目される。

 この頃でも髭剃り後にローションをつけるというのは普及してなかったと思うからだ。


 アフター・シェーブローションが新しい男性の生活習慣として根付いていたら、大きく市場開拓ができたはずだったが、今でもドラッグストアなどであまり目立つ存在ではない。

 つまりアフター・シェーブローションという習慣は普及していないということなのだろう。


 髭剃りの後というのは、カミソリを使ってやるとヒリヒリするという。

 顔を洗えば済むと思うし、たいていはその必要を感じない人がほとんどではないか。

 ましてや電気シェーバーを使えば尚更、それはあまり感じないことだと思う。

 事実、女性もうぶ毛を剃っているのだから、もし剃り後の不快感というのが事実なら女性用があってもいいはずなのだ。


 だから「ヒリヒリしてムズムズするから爽快感が欲しくなる」、そんなイメージをまず消費者に働きかけることが必要だったはずだが、あまり啓蒙は進まなかった。




 こういう新しい商品を生活習慣として定着させるのは大変な苦労をする。

 それこそ、最初はタダ同然で配ったりする。

 何でも普及率が30パーセントを越えるとそこからは爆発的に普及するというから、そこを狙う。



 例えば、シャンプーをしたらリンスというのは今では常識だが昔はそれほどのものはなかった。

 シャンプーはよくあったが、リンスという習慣が根付いたのはずっと後のことだ。

 今では男でも髪を洗えばリンスをするのが普通だ。


 


 その点ではコロナにまつわるアルコール消毒というのは異例なほどの急速な普及カーブを描いているはずだ。

 突然にコロナ感染への警鐘とともに普及が加速した。

 今ではスーパーやゲーセン、公共施設、あらゆる場所にアルコール消毒のボトルが設置されている。

 ほとんど誰でも入店時には除菌スプレーを手にかけるのが普通だ。



 それは、コロナ以前から、主にノロウィルス対策としてスーパーにはアルコール除菌のスプレーが設置されるようになっていたことがある。

 ノロウィルス感染は死に至るものではなかったが、激しい下痢や嘔吐と症状に苦しむことで知られる。

 それがあったから、コロナを契機にアルコール除菌が日本全土に広がった下地となった。

 
 我々はコロナ以前からコロナ対策の素地が整っていたと言えるが、それに対して、現在のコロナ対応に関する政府の判断はまるでちぐはぐというのは皮肉としか言いようがない。



クルマが売れた時代

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 クルマ。 昭和の時代にはクルマを売るにはどんな訴求をすべきだったのだろうか。


 この広告を見ると、この時代は男たちにクルマへの「期待」を訴えていたように思える。


 それには「私」というものがあることが前提だったはずだ。

 なにしろこの広告に書いてあるように、「私の時」なのだ。

 それは成熟した大人の人間ということになる。





 そうして今は、オンナや老人たちがクルマに何かの期待を向け始めているが、果たしてそこに「私」という「自分」があるかどうかは分からない。


 オンナたちがバイクやクルマに惹かれているのも同じだ。

 その自由さゆえに彼女たちはカッコイイと思う。

 だがそこに、「自分」というのはあるのだろうか。


 コロナ自粛でまず悲鳴を上げているのはオンナや老人たちだ。

 彼らは忍耐ができず、我慢ができない。

 それが女性というものではないか。



 しかしそのコロナで鬱屈した欲求不満の解消のためにクルマを運転されたら迷惑だ。





 こうした人間を拡張する機械には責任が伴う。

 昭和の時代では仄めかすことさえ必要なかったかも知れないが、今はそれが必要なように思える。



 無神経な運転、自己中心的な挙動、ないものねだり、後先を考えない無責任さ。

 曲がってくるクルマはなぜか後続車を気にする。

 歩道を歩いている人にまるでアピールするようにして、彼らは後ろを気にするフリをする。

 そんなことはこちらの知ったことじゃない。

 しっかり止まっておけ。




 コロナで鬱屈しているのかは知らないが、ヘタな運転はカッコ悪くて自由でも何でもない。

 自分はそうやってみっともないと見られていることを分かってもらいたい。


 ただの道具でしかないものが、時にはカッコよくなったり愛着とともに相棒のようになってゆくには、まずヒトが大人でなければいけないのだ。

 コロナ以降、ドライバーの質が悪くなった気がしてならない。

 
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