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rollitup 広告批評

  古い広告を批評するブログです。  広告デザインや広告戦略を評論し、古い広告を見ながら感じたこともお話していています。 昭和の思い出の広告、その振り返りのこと。 記事は随時更新です。

広告の成分分析

べスパの広告

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 べスパの広告。

 日本でべスパが最初に知られるようになったのはヘプバーンの映画「ローマの休日」だろうか。

 その昔、イタリアは工業化に成功し、産業を誇っていた。


 二人乗りでローマの街をドライブする、そのキュートで恋の予感はスクーターの軽快さと相俟ってココロをくすぐったものだ。



 そして日本で、最終的にべスパが最もポピュラーになったキッカケと言えばやはり松田勇作だろう。

 これは断言していいw。


 「太陽に吠えろ」のアクションスターからちょっとコミカルなテレビドラマへと役柄の幅を変えた、「探偵物語」というテレビドラマは大いにヒットした。

 そのドラマで松田が乗り回していたのがべスパだ。


 あれで日本中にべスパ旋風が吹きw、スクーター市場を大いに深耕したと言える。




 かつて免許制度が変わり、「原動機付き自転車」などというカテゴリーが作られ、手軽なエンジンつき乗り物が解禁された。

 本田のカブのような商用バイクからご家庭の便利な足へと普及が期待された。


 しかしせいぜい、「ヤマハ・パッソル」のようなもの、手軽さばかりを強調したものしかなかった。

 遠慮がちに自転車に毛が生えたようなデザインにして、二人乗りをするなど考えようもなかったものだった。


 松田勇作のべスパによってスクーターが市民権を得て、みながスクーターに乗るようになったのはそれからだろう。


 それこそ「スクーター・ブーム」のような時代さえあり、斬新なデザインや高性能のものも売られるようになった。

 街中はスクーターで溢れたものだ。


 今は、アニメの「アキラ」に登場したような大型なスクーターが若者たちの間で人気が続いている。





 それにしても、この広告では分からないがべスパの座席後部にあるタイヤは飾りではない。

 イタリアは山も多く、砂利や固い石ころが多いからパンクはすぐする。

 だから予備のタイヤは必須なのだが、日本であの予備のタイヤを交換した人はいないだろうw。



 日本のバイクメーカーからはべスパから予備タイヤを取り去って、同じコンセプト、似たようなデザインにしたものも多く作られた。

 すなわち、「風防がボディと一体化している」というところ。

 オリジナルのべスパから日本風に洗練されたデザインにしたものだ。


 ここには発想の飛躍が必要で、スピードを出すものをわざわざ風を止めては遅くなる。

 だから乗り物は流線型でなければいけないというのは先入観でしかない。


 こうしてべスパの広告見ると、懐古趣味以上にべスパと言うオリジナルなものの魅力を感じずにはおれない。

 イタリアン・デザインなどと、家具やコーヒーマシーンまで色んなものが持て囃された時期もある。




 広告は水着の女性が二人。

 水着姿のままべスパで海辺に乗りつけたというイメージだろうか。

 イタリアは恋の国でもある。

 女性たちはフランス人よりもずっとスタイルがいい。

 軽いアバンチュール、暑い陽射しの南イタリアは地中海へと突き出している。

 ひと夏の恋、「ローマの休日」そのものだ。



 だからよほど松田勇作のドラマで使われたことの方が訴求力があったということだろう。

 この頃はべスパを売るのに苦労していた時期だろう。


 死んだ松田勇作はザイニチ朝鮮人だったが、その息子はもっとその血が分かりやすい。

 演技も上手で、なかなかのものだと思って見たことがあるw。

 「朝鮮人らしさ」というのを隠さず、ちゃんと出していて、むしろ今の連中より逆にすっきりと見れる。

 

パイオニアの広告戦略

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 パイオニアという会社はこの頃、よく雑誌広告を出している。


 並み居るオーディオ専門企業に割って入っただけのことはあった。

 それだけの苦労はあったのだろう。


 これまで、オーディオというのは「ファッション」ではなかった。

 オタク系のこだわり、精密機器としての技術競争が主だった。


 そこにイメージ戦略を掲げて割って入ったパイオニアの当時の広告戦略は、まさに図に乗ったものだったと思う。


 パイオニアはこの広告戦略によって、一気にオーディオの世界でトップクラスに昇り詰めたと思う。





 パイオニアがこのことで果たしたことは大きかった。

 音へのこだわりや音源の追求よりも、ファッションというものはずっとマーケットが大きかったからだ。

 オーディオ製品の市場を開拓した功労者と言ってもよかった。


 パイオニアが、オーディオとライフスタイルやファションを結びつけたのだった。

 こんな広告のように、スポットライト式の証明、黒いフレームの棚、シンプルで男らしいダンディズムを打ち出したのは成功だった。


 この頃、実はアメリカでは「ハイテック・デザイン」なるコンセプトが登場していた。

 それはフランスの建築の分野に喩えればアール・ヌーボーのようなムーブメントだった。


 今でも、それは例えば打ちっぱなしコンクリートの住宅デザインなど、名残りがある。


 パイオニアが、広告のモチーフとしてこんなシックだとか、今で言えば「渋い」ファッションを取り入れたことで、オーディオの分野から男らしさが追求される時代へと認識が広がっていった。


 それは例えポーズに過ぎなかったとしても男たちはみな男らしくあれと夢想し、シンプルで潔のよい生活を指向したのだった。


 当時の文化にパイオニアが与えた影響は大きかったと思う。


 それだけの成功体験があったために後年になって間違ってしまったのかも知れない。

 
 カーオーディオでパイオニアはまた成功を収め、やがてコマーシャリズムにどっぷり漬かるようになってゆく。

 そうしてカーナビの失敗。

 抱え込もうとして全てを失った。

 栄枯盛衰というのはあるものだが、あまりにももったいない、そう思う。

 
 
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