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 少しゲイっぽい感じの写真だ。

 黒にタートルネックというところがゲイだ。

 今ならLGBTとか言われているからいいんだろうが、当時としてはどうだったのか。


 男が三人というところも、まさにゲイという感じがする。

 二人のカップル、そしてその関係を理解する第三者、そんな暗示があると言えるから。

 必ずそんな構図になるのは、彼らが少し違うというイメージから。彼らには理解者が必要だ。


 しかし今よりもずっと自然な感じは受ける。誰しも生きてる、そんな感じがする。

 そう思うと昨今の風潮にはちょっと違和感を覚える。

 いちいちゲイの存在感を声高に押し付けられるこちらの身にもなってもらいたい。

 そんな他人のプライベートなことなど誰も知りたくもないのだ。


 我々は誰でも個人的な嗜好というのはあるが、それを強く主張されても困るのだ。






  人工皮革の黒、それならナイロンのベルトの方が今風だろう。

 いかにもそのバンドの黒が安っぽい感じになってしまっている。

 漆の漆黒でもよかったかも知れない。


 訴求しているのは色だ。

 黒なんてどうでしょう、というわけ。

 ストレート過ぎて微笑ましい。


 ファッションのひとつとして色というスタイルを提案するなんて、時計ブランドとしては斬新だったのかも知れない。



 写真としては黒に白っぽい男の顔で、まるで生首でも浮かんでいるように見えなくもないが、それは、言っちゃいけないことかww。





 今はすっかり時計をしなくなった。

 誰もがスマホやパソコンで時間を知ることが出来る。

 それに時刻はあらゆるところに表示されている。

 みんな時間に縛られることに飽きてしまった気がしないでもない。


 今は時間よりもスピードと能率の時代だ。矢継ぎ早に仕事を片付け、応答もする。LINEでつながっている。

 スピードについてゆけない連中に限って昔のように「時間厳守」なんて言うが、そんな連中の仕事の能率は悪い。



 ちょっと前、みなが外の時計に依存するようになってきた頃のこと。

 それでは困ると、商店街から軒並み時計を撤去した場所があったと聞く。

 腕時計を買ってくれないから困るなんてものではなくて、時刻にズレがあると困るとか、商店街の他のサービスに集中してもらえないなどが理由だった。

 聞いた時はなかなか面白い社会実験だと思った。 しかしその後どうなったのかは知らない。


 きっとあまり変化が見られなかったのだろう。




 この先、時計の復権はあるのだろうか。

 例えばPCはタイムサーバーに問い合わせて常に正確な時刻を表示している。

 それはこれまでの時計ではありえなかったほど正確さを実感するものだ。

 我々はファイルの更新時刻を気にするようになった。昔は書類がいつ作られたかなんて気にもされなかったはずだ。

 昔にも増して、正確さと的確さが仕事に求められるようになった。


 だが反面、それは「自分の時間」ではない。あくまでタイムサーバーやグリニッジ標準時でしかない。

 自分が管理している時間ではないのだ。あくまでパソコン内部で管理されている時間だ。



 腕の時計なら、それは自分で管理する自分の時間だ。どこにも依存はしていない。

 そういう「時間を自分で管理している」という感覚は他では得られない。

 だから一人前なのだ、昔はそんな感じだった。

 少年や青年が初めての腕時計に鼻高々だったものだ。


 これからまた時計の立場が見直されるとすれば、昔のそんな価値感を掘り起こすことだろうか。