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rollitup 広告批評

  古い広告を批評するブログです。  広告デザインや広告戦略を評論し、古い広告を見ながら感じたこともお話していています。 昭和の思い出の広告、その振り返りのこと。 記事は随時更新です。

2020年11月

ミノルタ一眼レフ

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 随分と黒っぽい広告だというのが第一印象だろう。

 しかし広告を見るだけでは想像はつかないかも知れないが、この黒さには格別の効果があったはずだ。


  男性雑誌を開いて、記事を読む。カラフルなグラビアや記事がある。

 そして次のページをめくった時、ボンヤリと夜に浮かぶようなこんな広告ページは想像以上に目立った。

 白地に黒の活字を読み慣れていた目にこんな広告ははっきりとした印象を残したはずだ。


 そのインパクトはよく訴求したいものとマッチしている。

 広告が訴求したかったものは、「男の夜の愉しみ」。





  よいカメラを買ってはどうか。

 優れた高級機を持ってみてはどうか。

 そこには別の愉しみがある。

 家族の寝静まった部屋で、男が密かに楽しむということができるはずだ。

 ためすすがめつしてカメラを触るだけで、それはきっと夜の愉しみとなるはすだ。

 このカメラを手に持てば、きっとその魅力をきっと味わってもらえるだろうから、と。


 「男の趣味」はどうか。

 と、そんな風にこの広告にはメッセージが込められたのだった。





 ただ、これがライカだの八ッセルブラッドだのと、当時ですら伝説のようなカメラだったらわからないでもないが、電子の目を持つようになった一眼レフだ。

 今の時代から考えればどれだけ訴求できたのか実感は湧かない。

 完全なアナログの時代から、フィルム一眼レフも多くのものをセンサーに頼るようになっていた。

 いくら高級機といえど、ロマンを感じるほどのものがあったろうかと思う。

 
 あるいはもしかすると、当時でもすでにライカや八ッセルブラッドなんてカメラはとっくに手の届かない伝説になっていたのかも知れない。

 だから、ちょっとした男の愉しみとしては「高級機」程度で十分だった、そんなところだろうか。

 


 しかし何より、こんな昔のカメラは「現像」というのが必要だった。フィルムも必要だった。

 ファインダーを覗いてもそうはシャッターを切るわけにもゆかない。

 今のデジタル一眼レフなら、自分の部屋で一人でシャッターを切って、その写り具合を確認することは気軽にできる。

 デジタルなら現像もフィルムも必要ない。

 
 絞り、シャッタースピード、原理は今のデジタル一眼でも同じだ。

 被写体を部屋のあちこちにして、カメラを試すなんてことは今ならできる。


 一人の夜、酒でも呑みながらデジタル一眼を構え、シャッターを切ってその性能、露出の具合を堪能するなんて、今のフィルムのいらないデジタルの方がずっと愉しめそうに思えてくる。




 そんなことを考えてみると、逆のことにも気付く。

 今のデジタルの方がずっと気軽にシャッターは切れるかも知れないが、現像が必要でフィルムを消費しなければならない昔の時代のカメラこそそんなに気軽なものではなかった、と。

 それがなおさら、男の独りの愉しみの世界を深くしたのではないか、と。


 それはまるでガン、きっと「銃」のようなものだったかも知れない。


 ハンドガンにもある種の美しさがある。
 それを趣味とし、所有するのが許される国もある。

 いくら許可されているからといって、弾をこめて夜中に部屋で発砲するわけにもゆかない。

 それと同じだったのではないか、と。




 銃は、使わなければせいぜい分解をして掃除をして油を差してやったりするぐらいが愉しみだ。

 空の銃を空間に向けて狙いをつけるぐらい。


 弾が入っていなければ撃鉄を引き起こして引き金を引くことはしない。

 弾が込められてないで撃鉄を弾くと、金属が直接当たって痛んでしまう。

 撃つ真似さえそうはできないものだ。

 銃は軽々しくは扱えない。



 フィルム一眼レフカメラの時代、やはり交換レンズを分解し、中を掃除したりはしただろう。

 男たちは独り、ホコリをハンドブロアーで飛ばしたり、レンズを磨いたはずだ。


 そんなことを手慰みとしながら、男の夜は静かに更けていったはずだ。


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ジーンズ・イラスト広告

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 一種のイラスト広告なのだが、ちょっと難解な広告だ。


 サボテンが後ろに見えるから、ジーンズを丸洗いして干した時のような図がサボテンのようだと言いたいんだろうか。

 あるいは、ゴワゴワとしたジーンズから脚をそっと引き抜くと、まるで抜け殻という感じでジーンズが自立したりする。

 そんな光景を象徴的に描いたとか。


 テキサスなんかの、そんなサボテンが生えているところなら洗ったジーンズをサボテンにかけておくなんてことは見かける光景だったする。

 それなんだろうか。




 ジーンズというのはヘビーデューティーが極まったものとされていて、昔は「強く堅牢なズボン」というイメージだった。

 それこそ、馬で引きずられようが何をされようがジーンズは簡単には破れたりしない。

 それがウリだった。


 今ではそういうイメージはすっかり薄まった。

 今更ジーンズはヘビーデューティだなんてイメージでいたら、ちょっと世間からはズレていることになる。


 かつて、ジーンズが市民権を得えるため、男らしさとか開拓精神の象徴だったなんて色々とウンチクや前提がつけ加えられ、コマーシャリズムとともに文化的に根付いていった。

 考えてみればそんなに昔のことではない。

 ちょっとした昔のことに過ぎない。


 今ではジーンズはファッションのひとつでもあるし、タキシードのようにライナーを入れて崩したり、デザインすらされるようになった。




 ジーンズというのは、コーヒーだか小麦だかを入れて運ぶための堅牢な袋をズボンに転用、改造したのが始まりだったと言われる。

 それはきっと、まだ羽織袴や着物、モンペなんてもものしか知らなかったような日本人に認知してもらうのには苦労したのかも知れない。


 ジーンズの意味不明の「丈夫さ」のアピールにしても、それがどんな現場作業にピッタリかなんて想像もつかなかったかも知れない。


 昔から細かい手仕事を得意とし、能率の高い仕事をしていた日本人には分かりにくかったはずだからだ。

 日本人というのはガサツな民族ではない。乱暴なやっつけ仕事は軽蔑されるものだ。

 もともとそういう文化ではなかったからだ。




 軽い労力で最大限の労働力や能率を発揮しようと工夫するなんてことは、日本人ならお手のものだった。

 強固堅牢な素材であるジーンズというものが、いったいどんな場面で必要になるのか、当時の人々は何を想像したのだったろうか。

 今ではワークマンすらファッショナブルであるというのに(笑)。


 ただその一方で、ジーンズの堅牢なイメージや男らしさのようなイメージは、「ゴワゴワとしているだけで少しも楽ではない」という、衣類としてのマイナスイメージを覆すのには必須だったかも知れないというのはあるだろう。


 それがために昔のジーンズはまず生地が破れにくいことを訴えたということもあったとは思う。

 いつもジーンズというと丈夫な衣類、大丈夫なんてことが言われた記憶がある。


 今はジーンズという言い方も死語になりつつある。

 今はこれを「デニム」と呼ぶ。





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