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rollitup 広告批評

  古い広告を批評するブログです。  広告デザインや広告戦略を評論し、古い広告を見ながら感じたこともお話していています。 昭和の思い出の広告、その振り返りのこと。 記事は随時更新です。

2020年07月

デルモンテのブランド力

DSCF1824


  写真のみの広告。
 これを何と言ったらいいのか分からないが、いわば「一発広告」と言ったらよいのか。

 写真が鮮明でないのが申し訳ないが、これは、

 「スーパーで積み上げたデルモンテのトマト缶。
   それが欲しいと、一番下から取ろうとしている子供にみんなが慌てるの図」。


 この広告写真には他になんのコピーも、ましてや正式な会社名すらない。

 「見ればわかるだろう、トマトと言ったらデルモンテだ」、というわけだ。



 確かに選挙ポスターじゃないんだから、掲示責任者だの印刷所だのは必要ない。

 だからこうして広告写真に商品を載せて、そのまま出稿でオーケーは出た。


 ただ、広告掲載料というのは高いものだから、そうそうどの企業もこういう冒険みたいなことはやってられない。

 いいたいことがあり、訴求したい商品に説明をしたいし、ヘタをすれば値段すら呈示する。

 こういう余計な言葉を削った広告というのは、ブランド力や自信がないとなかなかできることではない。

  
 しかもある意味ではこういう広告は「ウザ」くない。

 だから自然に入ってくる。まるで雑誌の一部のようにも見えた。

 昭和のこんな時代には「ウザい」なんて言葉はなかったろうが、 邪魔っけな感じがしないものだ。


 そうして、このちょっと小洒落た広告写真の雰囲気が気に入り、この広告ページを切り取って、例によって壁に貼ったり、下敷きに忍ばせたり、お洒落な雰囲気を楽しむ。

 「アメリカの空気を手元に」という感じだったろう。 下敷きなんて、今時はとっくに死語なんだろうけれども(笑)。



 前からこのブログでは解説していることだが、広告写真は「雑誌のオマケ」という意味で使われることがあった。

 美しい女性や洒落た構図、ウィットに富む写真を広告にして、それを切り抜いてどこかに貼ってくれれば楽しめるじゃないか、この雑誌にはそういうオマケもついてますよ、という意味にもなった。

 雑誌自体にもブランド力は必要だ。

 「スタイル」を伝えるには広告は有用な一種のデコレーションになり、それが高じて、広告にも価値が認められたらいい、そんな狙いがあったのだった。

 そうして雑誌を買う人々には、広告写真にも記事とは違った価値があることになった。

 もっとブランド力があれば、例えば一面のあの赤地に白のコカコーラのロゴだけの広告があった。
 それがカッコよくて欲しくて、雑誌はむしろついで、そのためにカネを出してわざわざ雑誌を買ったりするぐらいのことはあった。



 もちろん、本来の付録やら「オマケ」の意味で、グラビアのヌードなんかはあったが、読者はエロを求めるばかりでもない。

 紙媒体だからこそ、紙という物理的なものとしてオマケになった。

 わざわざ切り取り線なんかやらなかった。
 さりげなくそんな狙いを潜り込ませた。

 今でもパン屋なんかが英字新聞を使って包装紙にするなどの工夫はある。

 

 最近のデジタル社会では、どうだろうか。
 一部ではアイコンプレゼントとか、 著作権フリーのアバターを配布なんてやっている。

 「デスクトップ壁紙」なんてのを配布することもある。

 同じような意味のものは現在でもある。


 石油会社のキャンペーンがどこかで宣伝されていて、「デスクトップ壁紙プレゼント」なんてやっていたことがあった。

 会社のホームページに行くと、期間限定でダウンロードできるようになっていて、水着のモデルの壁紙だった。

 もちろん、その壁紙にはさりげなくその石油会社のGSで見かけるおなじみのロゴがあった。


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バカルディ・ラム

DSCF1826



 小汚いボートだがそこはワイルド感たっぷりなリゾート地というイメージだろう。


 金髪ショートヘアの女ともしゃもしゃの天然パーマのブルネットの女性。どちらも小麦色に日焼けして「美しい女性の雰囲気」というのが伝わってくる。

 こうして遠目にするというのはひとつの手だ。
 見ている我々はつい想像力で補ってしまう。「ないもの」をあると思い込む。男性のほとんどはこの広告に「セクシー」なものを感じてしまう。

 写真からは女性の顔さえよく見えない。胸の膨らみすら分からないのに。

 
 金髪は長い脚が美しいし、遠目でもショートの真っ直ぐでサラサラした髪質がよく分かる、「ような気がする」。

 ブルネットの方は肩の肩甲骨あたりがセックスアピールだ。それがわかるような気がする。


 そして、こういう写真を撮る人というのは、見る人の好み、どちらにもヒットするように作る。

 「どちらかはお好み次第で」ということだ。


 みなが健康的に日焼けした肌で、カリブ海のリゾート地あたり、バカンスを楽しんでいる様子だ。

 フロリダからちょっと行けばバハマ、キューバ、ハイチ、いくらでも行くところはある。
 
 


 白人は小麦色の肌に憧れる。

 確かにあの青白く真っ白な肌というのはちょっと引く。

 白人が優越しているとか優遇されているなんて、まるで肌の色とは関係ない。むしろコンプレックスにさえなっている人々だ。
 白人は育ちや家柄で言われてしまうものだが黒人にはそういうものはない。
 いったいどちらが被差別人種なのかと思ってしまう。


 結局、人種間問題とは既得権益を巡る争いであり、奴隷解放宣言以来、負け組みの白人がなんとか身分制度のようにして特権的利益を得ようと抵抗してきたに過ぎない。

 そうしてそれが「差別」などと転化され、黒人側もそれが都合が良いと利用した。


 今の黒人の権利などという主張はあまりに中味がなく白々しい。

 拉致監禁や強制労働、暴力による簒奪ではない。黒人奴隷の歴史はそのようなものではなかった。

 「著しく不当な境遇に置かれた」というだけだ。

 今、不当な境遇を作り出しているのはむしろ黒人の側だろう。なぜわざわざ警官に盾突いてみたり犯罪歴ばかりなのか。「ないものねだり」に過ぎない。



 白人女性がローカルのBarで店の女たちと話をしていた。

 彼女たちはベタベタと彼女たちの腕をさわり、まるで羨むようにその褐色の肌を褒めていた。
 ローカルの連中も負けじと、その白い肌を触ってなんと透明で素敵なんだろうとやっていた。

 「交換したらいいよ」そう言ってからかってやると、どちらも色をなしてキッとこちらを睨んだ。


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