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まさにこの広告のような、感じ。 脇から乳首すら見えそうな女が横に座った ことがあった。
ある夏のこと。
ある夏のこと。
ドレスがこんな感じのシンプルなもので、色も単色、客同士、芝居かなんかの話しをした。
バーカウンターで隣なもんだから、ギリギリのその色気がこちらに漂ってくる。
まるで開け放しにした窓のカーテンが風に揺られ、昼寝している頬をなぞってくるような感じで、こそばゆい甘い夏の空気が俺を爽やかに誘ったようだった。
それは見たいのに見れない、なんとももどかしさであり、エロス のあやかしさだった。
狭い店内でエアコンの音が五月蝿く鳴っていて、気がつけば簡単なドレスに隠れたその姿態、身体を直視してないよと、そんな自分の態度を維持するため、こちらは背筋をピンとさせてチカラを入れながらも、じっくりと見てみたいという気持ちは今にも噴き出しそうで、そんな感情は微塵も気づかれるのが嫌で、それで、こちらが動いたり タバコに火を つけるような、ちょっとした 自然な動作 の時に何か見えればいいななどと期待しつつ、計算したり、つい大きくうなずいたりして、、、。
結局、奥を見ようとしていたのは間違いない。(笑)
あの時の自分のフワフワとした感覚。
覗いたりマジマジと嘗め回すように見るようなことはできず、しゃぶるように貪りついては味など分からぬ。
お姉さんが横にいる。だから、接する態度も注意せねば。
お姉さんが横にいる。だから、接する態度も注意せねば。
しかも、そんな気持ちを気付かれてしまい、それを許してもらえるような 甘える、 なんてことはオトコとして許せず、それを期待する自分の無様ささえ忌まわしい。
知りあって関係を深めたいなんて考えなくなる次元。
「出逢い」なんて線は消えてしまう。ホントはそういう甘えた流れや傾き、緩やかな河のような流れもいいはずなのに、とたんに 自分が邪魔 をしてくる。
「出逢い」なんて線は消えてしまう。ホントはそういう甘えた流れや傾き、緩やかな河のような流れもいいはずなのに、とたんに 自分が邪魔 をしてくる。
決してアカラサマに見たくなくて、それでもどこか頭の中に「見えれば素敵だな」などという、切な過ぎる 乞食のような願望 だけで、欲動が奥底でゆっくり胎動していることを否定できない。
幸運がきっと自分の自然なそぶりや動きのどこかに意味するところを見つけてくれて、ちよっとした 偶然が訪れて見えたりするなら それで、いい。それだけでいい、と。
それは偶然だし自分でも許せる。相手にも気取られない。なーんて、こと。知らずのうちにあまたの感情に胸をかきむしるごときオノレの複雑さよ。
今の自分のどこかには、実態のある何かがあって、確かな温度をもったそれが誰にも気付かれずに マグマ のようにゆっくりと流れているのだ。それを眺めつつ向き合う。
そんな風に密かに悶絶していていたもんだから、グラスに唇を近づけることすらできず、ひたすら持って握っていたビールのグラスは気がつくと冷たくなくなった、惨めなほどぬるいビールだった。
カッコをつけていながらも、どこか甘えた気分に包まれた夢の後の余韻に浸るように,うわついたながらも喋り続けていたが、芸術論とか寺山修二論は中味などなかった。
ただチグハグな心持ちでいて、そんな 閉塞感 を秘かに抱え、誰も知られない心の深淵でグラスを弄ぶようにしてその感情を楽しんだ。
「Barで、尾根遺産が隣」。
とてもいい。
とてもいい。
結局、覚えているのはその女性の 横ワキに見える肌のつややかさ とか、うなじや腕に産毛 があることの 生々しいエロチック さだけで、乳首が覗いたかどうかさえ実はどうでもよくなっていた。何を求めていたかも今ではよくわからない。
こうしてあの時と似たような写真を見ると、体つきもよく似ている人だった。
思い出すと今でもドキドキしそうになる。 よい目に逢った夜だった。
乾杯。
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