昭和は時計の広告がたくさんあった。
持ちモノにメッセージ性があったから、それぞれがそれぞれの趣味を身につけた。
だから色んな種類の時計とブランドがひしめいた。
出勤前、朝というから、それこそ広告写真のセロリジュースでも飲んで出かけようというイメージだろう。
「独身貴族」なんて言葉が思い出される。
仕事に遊びに、恋にアバンチュールに、忙しくも洒脱で身なりに気を使う昭和の伊達男ww
時計はこれからの一日を刻んでくれる。
さあ、お洒落に油断なく、仕事に出かけよう、よい朝だ。
ブラインドの向こうは喧騒が始まりつつある。
なーんて感じか。
この時計右下のワイプ画面が悪く感じられないのはまさに割り込んでいるようだが、そうではない。
後ろとこちらは別世界。
ページにページを重ねている感じになっていてウザくないという算段。
時計写真の大きさはもう少し小さくてもいいと思ったりするが、余白左のスペースが大きく開いているのでバランスから気にならないのだろう。
悪くない。
今のテレビのワイプ画面は同じ画面に割り込んでいる。まさに醜悪だ。
よこしまな根性で下司な連中が隙あらばテレビに映ろうとやっている。クソタレントがわざとらしく顔を見せて意味のない作り笑い、賑やかし、邪魔をしているだけだ。
今のワイプ画面の濫用と比較すればセンスが違うものだと感心する。
男性は草刈正雄だろうか。
わざわざカネを払って広告に出てもらい、それで顔を隠したりする余裕。
今の出たがりのアホタレントが商品そっちのけで「私を見て」とやるのとエライ違いだ。
控え目さもあった時代。
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