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 小汚いボートだがそこはワイルド感たっぷりなリゾート地というイメージだろう。


 金髪ショートヘアの女ともしゃもしゃの天然パーマのブルネットの女性。どちらも小麦色に日焼けして「美しい女性の雰囲気」というのが伝わってくる。

 こうして遠目にするというのはひとつの手だ。
 見ている我々はつい想像力で補ってしまう。「ないもの」をあると思い込む。男性のほとんどはこの広告に「セクシー」なものを感じてしまう。

 写真からは女性の顔さえよく見えない。胸の膨らみすら分からないのに。

 
 金髪は長い脚が美しいし、遠目でもショートの真っ直ぐでサラサラした髪質がよく分かる、「ような気がする」。

 ブルネットの方は肩の肩甲骨あたりがセックスアピールだ。それがわかるような気がする。


 そして、こういう写真を撮る人というのは、見る人の好み、どちらにもヒットするように作る。

 「どちらかはお好み次第で」ということだ。


 みなが健康的に日焼けした肌で、カリブ海のリゾート地あたり、バカンスを楽しんでいる様子だ。

 フロリダからちょっと行けばバハマ、キューバ、ハイチ、いくらでも行くところはある。
 
 


 白人は小麦色の肌に憧れる。

 確かにあの青白く真っ白な肌というのはちょっと引く。

 白人が優越しているとか優遇されているなんて、まるで肌の色とは関係ない。むしろコンプレックスにさえなっている人々だ。
 白人は育ちや家柄で言われてしまうものだが黒人にはそういうものはない。
 いったいどちらが被差別人種なのかと思ってしまう。


 結局、人種間問題とは既得権益を巡る争いであり、奴隷解放宣言以来、負け組みの白人がなんとか身分制度のようにして特権的利益を得ようと抵抗してきたに過ぎない。

 そうしてそれが「差別」などと転化され、黒人側もそれが都合が良いと利用した。


 今の黒人の権利などという主張はあまりに中味がなく白々しい。

 拉致監禁や強制労働、暴力による簒奪ではない。黒人奴隷の歴史はそのようなものではなかった。

 「著しく不当な境遇に置かれた」というだけだ。

 今、不当な境遇を作り出しているのはむしろ黒人の側だろう。なぜわざわざ警官に盾突いてみたり犯罪歴ばかりなのか。「ないものねだり」に過ぎない。



 白人女性がローカルのBarで店の女たちと話をしていた。

 彼女たちはベタベタと彼女たちの腕をさわり、まるで羨むようにその褐色の肌を褒めていた。
 ローカルの連中も負けじと、その白い肌を触ってなんと透明で素敵なんだろうとやっていた。

 「交換したらいいよ」そう言ってからかってやると、どちらも色をなしてキッとこちらを睨んだ。


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