昭和がまた逝った。
それが特に、コロナウィルスという特別なこの時代の変わり目であったことは特に記憶に刻まれてもいいかも知れない。
戦後をまたいだ昭和という時代、その混沌とした時代は多くのものを生んだ。
それは間違ったり、負けたり、淘汰されたもののにとっての歴史でもある。
かろうじて生き残ってきたものでさえ、やがては終末を迎える。
すべてが森羅万象のことわり、同じことだ。
このコロナウィルスという新しいものに立ち向かう人々は、かつてと同じように多くを切り捨て、打ち克つことだろう。今の我々がそれを信じられないでどうする。
ベータマックス。
ベータとVHSの争いはいちがいに規格競争といわれることが多いが、 その実態は品質の争いだった。
単に質をブランドや覇権が凌駕したに過ぎない。
その証拠に、いつまでも画質がベータにVHSは劣ると言われたものだから、その後になって、S-VHSなどいくつもの規格の改良が行われた。
もしやることがあったとしたら、規格の改良やバージョンを上げることよりも、もっと利用法、水道のようなインフラにさせることだったろう。
やがてこれもデジタルの波に呑まれていった。
品質とは進化ということ。
我々はその進化に適応してゆかねばならない。コロナへの適応ももはや現実のものとなりつつあるのではないか。
戦いに疲れた者には休息が訪れる。
死は永遠の休息だ。
この記事が悪くなかったらクリックをお願いします!