ダウングレード営業中。 どうにもアクセスがなくて残念な感じ。
記事も増えてきたので、どうか過去記事も掘ってお楽しみいただきたい。
暫くダンヒルを吸っていたことがあった。
「伊達男」とか、「お洒落」を気取っていたわけではない。
この煙草にそういう印象があるのは否定しないけど。
俺の場合、乞食根性だけで、たっぷりと免税で買い込んだというだけだ。免税だから格安だ。
ならば同じぐらいの値段ならと一番高そうに見えるものを買った。
こんなものを吸いやがってと、きっと嫌味に見えたことだろう。
その時、ライターもダンヒルを持っていて、死んだ父の遺品からチョロまかしたものだった。そのダンヒルのライターとオソロの煙草だからいいじゃないかというのもあった。
ダンヒルの煙草の味は葉巻のような強い香りのするもので、今で言えば紙臭い。立ち昇る煙はあまり目に染みることがない。品のよい煙草だ。
少なくともワイルドな味わいではない。ダンヒルというのは確かにそんな煙草だ。
この広告には偽りはないと思う。
で、パリの街角、シャンゼリゼから外れたオペラ座のあたりだったと思う。ある日、そこを通りかかったら、ダンヒルの店構えが目に付いた。
その時の自分の持っているダンヒルは火打ち石を格納する場所のラッチが折れてしまっていた。使うのに支障はないが、折れてしまっていることが何か残念で、前から惜しい気がしていて心残りがあった。
何気なしに店に入ってみる。
背の高い細長い重苦しい扉を押して入ると人気のいない店内で、ディスプレイもなにもありゃしない。
大理石の涼しげで冷たい壁と床、殺風景な店内がそこにあった。そこには店に店員がひとりだけ。
確かその男はインド系だったように思う。
インド系にしては珍しく作り笑いをしない店員だった。
俺は彼に話しかけ、壊れてしまったラッチの話をして、持っている自分のライターを見せてみた。
ふんふんとわかったようなわからないような、なにやら怪しく聞いていたその店員は、ちょっと待っててくれと思い出したように言い、寄越せと言ってライターとともに奥に引っ込んだ。
ほどなくしてエプロンをした職人と一緒に出てきて、そいつらは自慢げな表情をして俺にライターを返した。
見ると、わずかの時間で修理し、爪の折れた火打ち石のラッチごと小さな部品を交換してくれたのだった。
俺が驚いた顔をすると、いかにもプライドが満ちてゆくように二人の顔は上気していった。
乞食根性の俺は、もしや有料ではなかったかといぶかった。
とまどった演技をしてみせたが、そんなことは心配しなくていいとジェスチャーで返した。向こうは余裕たっぷりに穏やかにしている。
そして、こんなことはお安い御用だ、お構いなしだとばかりに俺に手を振って別れを向こうから告げたものだ。
さあ、もう行っていいぞ。
俺はそっとその店を立ち去った。
お代はタダ。修理代は無料だった。
これが正常なサポートだったのかどうか、未だに知らない。
こんな経験がなぜかいくつかあった。
だからなのか、俺もブランドというモノに少し弱いところがある。
だからなのか、俺もブランドというモノに少し弱いところがある。
ちなみにダンヒルはロンドンに本社がある。