<$BlogTitle ESCAPE$> rollitup 広告批評 

ブランド

プレイボーイと言うブランドを借りて

Save0044




 プレイボーイと言うブランドは様々な形になった。


 この当時、こういう、どこかのブランドを借りてきて製品を売るというやり方はまだケースとしては稀だったはずだ。


 もしかしたら、こうしたブランド自体を販売するようになる「パテント商売」というのは、このプレイボーイがハシリだったかも知れない。


 スエターやマグ、ノートなど、様々な商品にプレイボーイのウサギ(バニー)のロゴが印刷され、商品になったものだ。


 そんな風にブランドマークが流用され、色んな有名ブランドのロゴが踊った時代というのがあった。

 タバコのキャメル、スコッチのジョニーウォーカー、ポルシェ、スマイリーマーク、スヌーピー。などなど。




 いったい、これを当時買った人々というのは、どういう気持ちで買っていたのか。


 もちろん、当時でもプレイボーイ誌の硬派なところというのは注目されていなかったから、「プレイボーイのバニー」というのは単にエロ雑誌という感じのイメージだったろう。


 実は、そのジャーナリズム精神溢れる記事やルポルタージュなど、プレイボーイ誌というのは世間的なイメージよりもずっと硬派の雑誌だった。

 それがセンターフォールドを飾る女性たちのヌードのイメージが強かったばかりに、プレイボーイのロゴは間違った印象で受け入れられた。


 それはそのまま、名前の通りの「プレイボーイ」。
 軟派な「ジゴロ風の男」のイメージだ。


 だから、まるで「私は女性が好き」とでも言うようなメッセージになるとして、みながこのブランドが刻印された製品を買っていたのだと思う。

 人々は使いやすいツールを求める。

 女性との出逢いを求める男なら、そうして好んでプレイボーイのロゴを身につけた。




 例えば「サンリオ」という日本の会社は、世界でも人気のある「キティちゃん」というブランドを持っている。


 この会社はバブルの頃、会社の事業そっちのけで株式投資に血道をあげたことで有名になる。

 その利益は事業収入をさえ越え、投資収益は莫大なものになった。


 だがバブルが崩壊してその投資行動が曲がり始め、転落を始める。



 やがてサンリオはこうした投資行動を止め、事業に専念すると宣言する。

 「株式投資から手を引く」、そうサンリオは宣言した。


 そうして彼らはキティちゃんのキャラクターを世界中に売り始めた。

 今や「キティちゃん」は日本で最も露出の多いキャラクターだと言われる。



 金を出せば「キティちゃん」はどんな商品やサービスのキャラクターにも使うことが許される。



 プレイボーイも同じように、その帝国の凋落とともにブランドの販売にチカラを入れ始め、現在はなんとか持ち直した。

 プレイボーイ・バニーを売った。

 それは、創業者であるヒュー・ヘフナーの娘の才覚が大きかったということが言われている。





 ブランドというものは本来ならその商品の価値だった。

 商品そのものだった。


 しかしその商品のイメージが確立すると、ブランドそのものが一人歩きを始める。


 いいオンナのイメージ、伊達男のイメージ、洒脱、洗練、実直、などなどw。

 やがてそのブランドのロゴや存在、それ自体が社会的に何らかのメッセージを持つようになる。


 プレイボーイのロゴがこうして使われたことを考えることは、我々の社会における「記号化」というものをよく現しているのだと思う。


 世界は記号によって彩られている。




PLAYBOYというブランド

Save0032


  「PLAYBOY」、これを「女たらし」なんて訳したら今でも失笑ものだろう。

 この世にはプレイボーイなどいなくなった。このブランドが確立したために、その言葉を使うのがはばかれるほどになってしまった。

 それほど強力なブランドを作り出したことは、20世紀のひとつの奇跡であったと言えるだろう。


 プレイボーイは、ヒューヘフナーが作り上げたポルノ王国である。


 今の時代、ヌードグラビアがセンターを飾る程度の雑誌を「ポルノ」と呼ぶには引け目があるが、当時の昔はプレイボーイ誌はポルノ雑誌とされていた。

 早いうちから女性のヌードを前面に出し、粒ぞろいの女性たちをはべらせたハーレムのような姿がプレイボーイ帝国の看板であった。

 毎月のベストプレイメイトを選び、バニースタイルというラスベガス・カジノのウェイトレスのスタイルをさせ、男たちを慰めた。

 ベトナムで、彼女たちが兵士を慰問したこともある。

 プレイメイトたちは、アメリカの男たちが求める美女の象徴となった。




 そして、プレイボーイ誌は同時に「大衆ジャーナリズム」というものを輝かせた。

 クオリティペーバーと呼ばれる新聞報道では決して流されないニュースの暗部に切り込んだジャーナリズムがそこにあった。

 レポートと呼ばれる潜入取材や深い見識に基づく取材は、読み応えのある高品質なジャーナリズムだった。


 不思議なことにヒュー・ヘフナー本人は、こうした評価されるべき社会派の面についてほとんど誇って見せたことがない。

 彼自身はあくまでプレイボーイというブランドを「ポルノ」としていたように見える。


 カート・ボガネットジュニアなど、歴史に残る作家さえ寄稿し、多くの優れたジャーナリストたちがプレイボーイ誌にレポートを掲載した。

 ただのヌード雑誌ではない、そんな二面性が読者男性らの心をくすぐった。

 

 難しい顔をして世情を憂い、社会の問題に怒りを覚えながら、一方で女性の胸をまさぐる。

 もう片方の手にはブランデーグラス。女性はソファの肩に腰をかけ、ガウンをはだけている。

 男はスケベな顔などしていない。欲望を満たしながら義憤に燃える。


 それが男性というものだ、と。

 ヘフナーは、理想の男性像をそんな風に見ていたのかも知れない。




 時代はめぐり、やがてプレイボーイ誌は凋落してゆく。

 豊胸した女性は採用しないとしていたプレイボーイ誌であったが、今、ネットのプレイメイトたちのチャンネルはそのほとんどが手術を受けた女性たちだ。


 世間ではストレートな露出が当然のようになり氾濫し、また逆にセクシャルな訴求が社会問題化され、プレイボーイというブランドは狙い撃ちにされるようになる。

 そうして、ジェンダー撤廃の波にも押されていった。

 近年、プレイボーイ誌は紙面から女性ヌード掲載をやめるという宣言さえしている。


 一時、すっかり弱りきったプレイボーイ帝国を盛り返したのは娘であった。

 娘はプレイボーイのロゴをパテント販売するという世界戦略を大胆に打ち、大いに成功する。

 今でこそヒューヘフナーの邸宅が差し押さえられ、売り出されているなどと斜陽の話題には事欠かないが、まだプレイボーイ帝国は死なずといったところ。



 絶頂期のピンクレディがアメリカ進出を図り、そこで流れたヘフナーとホットタブに浸かっている写真にはなぜか日本の男性はがっかりしたものだ。

 日の丸アイドルがアメリカ制覇を果たしたという印象よりも、アメリカのポルノ王に占領されたという印象の方が強かったかも知れない。


 日本には集英社から「週間プレイボーイ」という雑誌があるが、パチモンである。

 本家プレイボーイ誌の影響を受けているところが随所に認められるが、アメリカンな洒落た感じはない。


 プレイボーイ誌は同じ集英社から日本語版として和訳編集されたものが刊行がされていた。

にほんブログ村 その他趣味ブログ 昭和レトロへ   
この記事が悪くなかったらクリックをお願いします!

ブログ村プロフィール
にほんブログ村 その他趣味ブログ 昭和レトロへ
PVアクセスランキング にほんブログ村
toremaga_80_15_1_blk