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  写真のみの広告。
 これを何と言ったらいいのか分からないが、いわば「一発広告」と言ったらよいのか。

 写真が鮮明でないのが申し訳ないが、これは、

 「スーパーで積み上げたデルモンテのトマト缶。
   それが欲しいと、一番下から取ろうとしている子供にみんなが慌てるの図」。


 この広告写真には他になんのコピーも、ましてや正式な会社名すらない。

 「見ればわかるだろう、トマトと言ったらデルモンテだ」、というわけだ。



 確かに選挙ポスターじゃないんだから、掲示責任者だの印刷所だのは必要ない。

 だからこうして広告写真に商品を載せて、そのまま出稿でオーケーは出た。


 ただ、広告掲載料というのは高いものだから、そうそうどの企業もこういう冒険みたいなことはやってられない。

 いいたいことがあり、訴求したい商品に説明をしたいし、ヘタをすれば値段すら呈示する。

 こういう余計な言葉を削った広告というのは、ブランド力や自信がないとなかなかできることではない。

  
 しかもある意味ではこういう広告は「ウザ」くない。

 だから自然に入ってくる。まるで雑誌の一部のようにも見えた。

 昭和のこんな時代には「ウザい」なんて言葉はなかったろうが、 邪魔っけな感じがしないものだ。


 そうして、このちょっと小洒落た広告写真の雰囲気が気に入り、この広告ページを切り取って、例によって壁に貼ったり、下敷きに忍ばせたり、お洒落な雰囲気を楽しむ。

 「アメリカの空気を手元に」という感じだったろう。 下敷きなんて、今時はとっくに死語なんだろうけれども(笑)。



 前からこのブログでは解説していることだが、広告写真は「雑誌のオマケ」という意味で使われることがあった。

 美しい女性や洒落た構図、ウィットに富む写真を広告にして、それを切り抜いてどこかに貼ってくれれば楽しめるじゃないか、この雑誌にはそういうオマケもついてますよ、という意味にもなった。

 雑誌自体にもブランド力は必要だ。

 「スタイル」を伝えるには広告は有用な一種のデコレーションになり、それが高じて、広告にも価値が認められたらいい、そんな狙いがあったのだった。

 そうして雑誌を買う人々には、広告写真にも記事とは違った価値があることになった。

 もっとブランド力があれば、例えば一面のあの赤地に白のコカコーラのロゴだけの広告があった。
 それがカッコよくて欲しくて、雑誌はむしろついで、そのためにカネを出してわざわざ雑誌を買ったりするぐらいのことはあった。



 もちろん、本来の付録やら「オマケ」の意味で、グラビアのヌードなんかはあったが、読者はエロを求めるばかりでもない。

 紙媒体だからこそ、紙という物理的なものとしてオマケになった。

 わざわざ切り取り線なんかやらなかった。
 さりげなくそんな狙いを潜り込ませた。

 今でもパン屋なんかが英字新聞を使って包装紙にするなどの工夫はある。

 

 最近のデジタル社会では、どうだろうか。
 一部ではアイコンプレゼントとか、 著作権フリーのアバターを配布なんてやっている。

 「デスクトップ壁紙」なんてのを配布することもある。

 同じような意味のものは現在でもある。


 石油会社のキャンペーンがどこかで宣伝されていて、「デスクトップ壁紙プレゼント」なんてやっていたことがあった。

 会社のホームページに行くと、期間限定でダウンロードできるようになっていて、水着のモデルの壁紙だった。

 もちろん、その壁紙にはさりげなくその石油会社のGSで見かけるおなじみのロゴがあった。


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