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 この製品もラテカセの一種だろう。 小さなブラウン管のテレビが見える。

 飛行機のコックピットのメカメカしさにお似合いの、男心をくすぐるガジェットというわけだ。いや、この大きさではギアと言うぐらいだろうが。



 だが、正直、ここには今なら嫌になるほどの嘘がある。

 昭和の時代はこういうところにひどく寛容だった。今ならきっと大炎上だろう。

 それは「果たしてこんなものが持ち運べるか」という問題だ。


 大きなボディにどれだけ電池を積んだとしても、当時はバッテリーやリチウムイオンであるはずがない。

 せいぜい単一や単二を何本も積んで、それで電気を食うテレビがどれだけの時間見れたかということ。


 せいぜい二時間、一時間半で電池は少なくなり、テレビは映らなくなった。
 残りわずかの電池ではラジオが精一杯というところだ。



 昔は電池がなくなると、カセットレコーダーでさえその回転駆動が弱々しくなって、スロー再生しかできなくなったりした。


 当時はラジカセの電池駆動にしても似たようなものだった。電池残量が少なくなると音量が出なくなったりした。

 
 アメリカの黒人がラジカセを持ち歩きストリートダンスに興じた。

 そうは言っても、盗んだバイクのバッテリーを使ったり電池を山ほど消費したりと、宣伝と現実はまるで違っていた。


 ただ、この頃の広告はついそんな幻想を見させてしまうことを詐欺的とはしなかった。

 大らかだった時代だったから、イメージ通りに可能かどうかより、そんなスタイルがあるかも知れないと発信することで夢を見せ、モノが売れた。

 消費というものがまだ子供っぽいものだった。


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