一見すると何気ない広告だが随分と常識とは違うものがある。
リンスだけを売るというのは珍しいのだ。
こういう業界は、シャンプーの後にリンスをという価値感の創出に成功して、 需要を喚起した。
まるで抱き合わせのようにして同じブランドで売る。一方はシャンプー、それを使うならリンスはこちらという売り方をしていた。
だからひとつのブランドでリンスとシャンプーをセットで競い合った。
サンスターが顧客を掴めばリンスもシャンプーもというわけだ。
それは今でもあまり変わらないはすだ。
だからリンス単体でシャンプーはなんでもよいというようなこの広告には、今の時代から見ても違和感がある。
この広告から窺えるのは、ひとつの挑戦があったということではないか、そう思う。
シャンプーとリンスがセットで売られているから、我々はそれを分けがたいものとして買ってきた。
さしずめラーメンとツユをセットで買っているようなものだ。
ではなぜリンスとシャンプーが別々に売られているのかと言うと、それは「減り方の違い」がある。
もちろんそれはマーケティング的な戦略だ。
わざと意識してやっているのであって、自然にそうなっているわけではない。
シャンプーがすぐになくなってしまうのに対しリンスはなかなか減らない。そうするとシャンプーが先になくなり、シャンプーだけを買い換えて次のリンスがなくなるまでと、また同じブランドを買う。
今度はリンスがなくなる。
そうしたらシャンプーと同じブランドのリンスを買うわけ。
まるでリンスとシャンプーが別なブランドであれば、妙な反応をしてしまいよろしくないというイメージさえある。
一度に、同時にすっぱりとなくなるようにシャンプーとリンスの濃度を調整などはしない。
わざと減り方が異なるようにしているのだ。
こういう時間差があることでいつまでもそのブランドに顧客をつなぎとめておくことができる。
モデルはなかなかの美人さんだが最近はあまり見かけないタイプ。
目が夢を見ているようで、おでこを出している。
生え際の分け目が見えている。どれも写真の特徴としては最近は見かけないものがある。
その上、耳が見えている。
これもほとんどない。昭和の昔でもあまりやられなかったはずだ。
女性の写真で両方の耳をここまで出している写真は実はあまりないことなのだ。モデルの写真からも異例な挑戦であったことが伺える。
かつて画家のゴッホは、人間の部位でもっとも醜い箇所として常々「耳」と言っていたそうだ。
人間の「耳」というのはみっともない。
錯乱したゴッホが自分の耳を切ったのも、そういう感覚からだったかもしれない。
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