集英社文庫


 
 本を読むのは何も仕事じゃない。 愉しみのためのものだ。 それを日本人はなぜか大事なことのように扱ってきた。

 学校でも「本を読め」ということをさかんにやった。
 その結果が我が国の高い識字率なのかも知れないが、字が読めるだけでは何にもならない。

 理屈や論理、思考ができなければ文盲よりも悪い。


 会社で就業時間中に新聞を広げ、それが仕事だなんてやっていた時代もあった。

 文庫本を読むことが何か偉いことのように言われた時代というのもあった。


 面白くなければ本なんて読むものじゃない。この広告にある本のように、まるで今は残ってもいないものさえある。

 どれもさっぱり覚えがない。




 今はブログやネットがあって、素晴らしい表現に溢れている。
 紛いモノのエセ物書きなどが生きる余地はなくなった。


 そのせいで連中は今も必死に直木賞だのなんだのと演出をし、プロモーションを今もやっている。

 受賞経験さえない重鎮気取りの連中を審査員に据え、自作自演さながら、あたかも表現の権威であるかのように振舞っている。

 カビ臭いやり方に恥じ入ることもないのだからその愚劣さは明らかだ。

 そうしてゴーストライターを使った漫才師にさえ受賞させて、文学界というもののストーリーを作ろうとした。


 無様で恥知らず、タレント化した本の周辺。それが今の文筆業。

 暇なのなら昔の昭和文学でも読んだほうがずっとよい。いくらでも面白い本はある。


 こうしたタレント産業というのは面白くない。

 宣伝とプロモーションで売っているだけだから中身はない。

 露出することが彼らの唯一のセールスポイントなのだ。


 人生は短い。試し読みにしても、くだらぬ劣等なものを手に取る時間はないはずだ。

 既存メディアにでしゃばってきたというだけで避けるぐらいがちょうどよい。

 そのくだらぬ本を読ませられた貴重な時間は二度と帰っては来ない。

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