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rollitup 広告批評

  古い広告を批評するブログです。  前から続けてきた本家ブログからコンテンツを切り離すことにしました。  広告デザインを評論したり、古い広告を見ながら感じたことを書いています。 昭和の思い出と振り返り、記事は最新の更新です。   広告写真はクリックすると別ウィンドウで拡大できます。

2020年07月

デビット・ボウイ

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  デビット・ボウイ、この人のことで書くなら、とてもではないがブログのスペースでは足りない。

 グラムロックの時代を駆け抜けた人だ。

 実験的ロックとかそんな言葉が恥ずかしくなかった時代、ダイヤモンドのようにキラキラとした彼ら、多くのヒーローたちが時代を彩った。

 それは素敵な思い出だ。

 そして、ボウイは年齢を重ねても、エネルギーは無限にさえ思えた。


 しかしフレディも、みんな逝ってしまう。マイケルも。

 広告がスキャンの関係で歪んでしまったが、それも何かこの人には相応しいようにさえ思える。

 
 スッとした美しい人だ。カッコよさというのはこの人のためにある言葉の気がしないでもない。

 男とか音楽とか、声とか、リズムとか、そんなものではないところにあるもの。彼の存在自体がセクシーでかっこいい。

 自分をよく見ている人だった。見られる自分をよく考えた人だ。そして自然体でもあった。何かと戦おうとはしていたが、その自然さが相反するものだった。



 デビット・ボウイが好きだという女性を何人か知っている。

 みんな不思議と、同じようにして持っているボウイのレコードジャケットを俺に見せてくれた。


 そのうちの一人はアメリカに行って麻薬で亡くなった。もともと日本でも覚せい剤みたいなものをやっていたのかも知れない。

 ロレツのあまりよくない人だったが、いつも酔っている時に会ったから定かではない。


 中堅の広告代理店でバイリンガルとして登用されていた。

 望んで渡米し、暫くして音信がなくなり突然に亡くなったという連絡がきたらしい。

 実家が静岡の漁師町だと言っていた。

 キスをせがまれて拒んだ時、「そういう人じゃないんだ」と言われた。

 ボウイには、こんな湿った話もどこか似つかわしいところがある。

 晩年の熱唱はどれも鳥肌が立つ。  声と特有の発声が耳に残って離れない。

 
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ジョージ・ハリスン

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 製品の広告だというのにジョージハリスンなどと、個別のミュージシャンの名前を出すというのは今はやらない手法だ。

 どうしたって人それぞれの好みがあるからだ。 染まってしまつてはたまらない。

 ビートルズ伝説があったにしても、それはないだろう。





 昭和の時代、ジョンレノンが死ぬ前後、ジョージはやたらと露出したがった。

 才能に溢れていたのはポールとジョンだったが、ジョージハリスンはその一角を占めようとした。

 「ボクがビートルズと呼ばれていた頃」なんて曲があったが、いかにも痛々しいものがある。


 スピリチュアルなことに傾倒し、人間的には悪くない人だったようだが、どうしても「ジョージハリスンその人」というものの影は薄いものがあった。



 人生の選択ということを考えると、解散後、役者に転ずるとさえ言われりしたリンゴスターとは違った。

 音楽プロデューサーとしての才能はあったようだが、なぜかそちらに専念するということもなかった。

 天才たちを前にして、どうしても何かのコンプレックスが植え付けられてしまったのかも知れない。

 ジョージハリスンというのはそういう男だ。
 


 その上でこの広告では、一見してタフそうな男が呟く。

 色々とオンナとあった。そして、「流れてきたのはジョージハリスンの声だ」、と。


 ひょっとしてこの広告はナヨッちいとハリスンを密かにディスっているのじゃなかろうか。

 そんな風にさえ思えてくる。


 ジョニーキャッシュやオーチスレディングの名前ならいい。

 しかしジョージハリスンという名前を使ったのは、分からない。いったいどんなイメージのつもりだったろうか。

 謎だ。


 ナショナル、つまり今のパナソニックだが、あそこの社員も末端はみなどこかおかしい連中の印象がある。

 引っ張っているのは有能なごく少数のまともな人々というわけ。


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ラテカセ全盛期があったか

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 この製品もラテカセの一種だろう。 小さなブラウン管のテレビが見える。

 飛行機のコックピットのメカメカしさにお似合いの、男心をくすぐるガジェットというわけだ。いや、この大きさではギアと言うぐらいだろうが。



 だが、正直、ここには今なら嫌になるほどの嘘がある。

 昭和の時代はこういうところにひどく寛容だった。今ならきっと大炎上だろう。

 それは「果たしてこんなものが持ち運べるか」という問題だ。


 大きなボディにどれだけ電池を積んだとしても、当時はバッテリーやリチウムイオンであるはずがない。

 せいぜい単一や単二を何本も積んで、それで電気を食うテレビがどれだけの時間見れたかということ。


 せいぜい二時間、一時間半で電池は少なくなり、テレビは映らなくなった。
 残りわずかの電池ではラジオが精一杯というところだ。



 昔は電池がなくなると、カセットレコーダーでさえその回転駆動が弱々しくなって、スロー再生しかできなくなったりした。


 当時はラジカセの電池駆動にしても似たようなものだった。電池残量が少なくなると音量が出なくなったりした。

 
 アメリカの黒人がラジカセを持ち歩きストリートダンスに興じた。

 そうは言っても、盗んだバイクのバッテリーを使ったり電池を山ほど消費したりと、宣伝と現実はまるで違っていた。


 ただ、この頃の広告はついそんな幻想を見させてしまうことを詐欺的とはしなかった。

 大らかだった時代だったから、イメージ通りに可能かどうかより、そんなスタイルがあるかも知れないと発信することで夢を見せ、モノが売れた。

 消費というものがまだ子供っぽいものだった。


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ティアック、オープンリールテープ

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  まるで扱ったことがないから分からないのだが、この頃のオープンリールテープのよさというのはなんだったんだろうか。
 カセットテープはあったはずだし、メタルテープだってあった。

 大きくて露出しているからホコリなんかかぶったろうし、扱いは面倒だったはずだ。

 2時間どころか4時間、6時間と長時間の記録は可能だったろう。
 早送り、巻き戻しは少しは早かったか。


 広告写真からは古臭いものを感じないし、広告自体は古くない。
 昭和と言っても、そんなに古い時代でなくても現役で活躍していたのだろう。

 まさかコンピューターの磁気記録に使っていた時代でもなかったはずだ。

 
 オープンリールの個人的イメージとしては、テープをつなげたり切り貼りして音や証拠を捏造するとか、誘拐犯の声を繰り返し聞くとか。

 テープが回り指令が終わったら「このテープは自動的に消滅する」なんて映画もあった。あれも小型のオープンリールテープだったと思う。




 古い思い出のようなもののはずなのに、なぜかオープンリールには古臭い気がしない。この広告を見てもなんだか欲しくなってしまうぐらいだ。


 きっと使ったことがないからなのだろう。触ったこともない。

 そういうものは記憶の中でも色褪せないものなんだな。


 逆にこの時代の人たちが今のスマホなんか見たらどうだろうか。

 情報の詰まった日常に必要不可欠なものとは思わないだろう。

 まあこの頃はさすがにインターネットもないから、ただの平たいおもちゃでしかないけれども。


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