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rollitup 広告批評

  古い広告を批評するブログです。  前から続けてきた本家ブログからコンテンツを切り離すことにしました。  広告デザインを評論したり、古い広告を見ながら感じたことを書いています。 昭和の思い出と振り返り、記事は最新の更新です。   広告写真はクリックすると別ウィンドウで拡大できます。

2020年04月

ブロンドとバスローブ

ブロンドとバスローブ


 モノクロの広告。ブロンドであることがより強くわかる。

 モノクロにはそれだけの訴求力がある。


 女性が「彼の香り」と香水のビンを嗅いでいる。

 前夜に同衾した相手はもう出かけてしまったのか。遅く起きた女がシャワーを浴びて、昨晩の出来事を思い出しているのか。

 バスローブも大きめ。包まれるようにブロンドの華奢な体が少し見える。

 ロマンスの残り香のように、香水の瓶を女が見つけたのだ。


 とまあ、こういうエピソードなのだろうが、残念ながら売り物は香水だ。

 このブログは日本人には香水は向いていないという立場だ。

 なんとか日本人に香水を売ろうとした、その努力は買うが、もはや失敗、もともとは売れないはずのものだったのだ。

 広告は悪くはないが。


 今でも勘違いしたオヤジなんかが臭いをさせている。犬は臭いが見えるようにたどれるというが、そんな感じでさっきまでオヤジがどう歩いていたのかなんて分かってしまうぐらい臭いがしていることがある。

 古臭い臭いだ。オヤジ臭だが、コロンも少し混じっていたりするから気持ちが悪い(笑)。



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桃井かおり

桃井かおり


 桃井かおり、個性派として注目され、「いい女」ともされた。

 首肯できないと思った男性も多かったろうが、ともかく彼女はその評価を得ていた。


 それから長く女優業をし、女性の魅力というものは何も顔かたちばかりではないことを証明した。


 その声も、しぐさも、すべてに個性と呼べる特徴があって、唯一無二のものがあると言えた。

 彼女の存在感は大きかった。
 今、こういう女優がいなくなったことが日本の映画をつまらなくさせている。


 父上は名高い国防の研究者だ。

 桃井も今、おかしくなった日本に警鐘を鳴らす役割を果たそうとしている。


 

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対抗広告だろうか

山下達郎系


  どう見ても山下達郎系を連想させてしまう。この女性がなんで選ばれたかも分からない。

  確か「いい音しか残せない」というTDKのカセットのCMがあった。

 あれの向こうを張ったということだろうか。


 それだけあちらが強烈な印象があったというのかも知れない。
 それともこっちの広告がわざとそうさせているか。

 こっちはデッキだし。


 「抱かれたい」って、のは別に男でなくてもいい。

 女でなくても、男だって思い出に抱かれることもある。 春に抱かれるし、海に抱かれる。

 コロナウィルスには抱かれたくはないが。




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万年筆、モンブラン

モンブラン


 ある程度の歳なら、まともな男なら誰でも一本は持っていた、そう言ったら言い過ぎだろうか。

 万年筆のモンブランというのはなかなかのブランドだった。

 わざわざ洋行帰りに土産に買って帰ってきたりしたものだ。


 万年筆というのは、筆のようなもので、先の向きによってラインが太くなったり細くなったり、それこそサインなんかにはちょうど良い。

 ボールポンなんかだと均一の太さしかないラインだからつまらないが、万年筆はふくらみを持たせることができる。

 この広告にしてももパスポートなんかに挟んでいるから、やはり「サイン」というのを意識したものがあるんだろう。


 このインクを充填できるカートリッジにしたところがアイディアで、筆を持ち歩くことが出来るようになった。

 暫くは万年筆、ボールペン、シャープペンシル、鉛筆と、筆記具が華やかに共存していた時代があった。



 今は、パソコンやスマホがある。
 それとの使い分けとして考えると万年筆の出番はあまりない。

 ボールペンで済ませてしまう人が多いだろう。



 筆記用具の主役や変遷を考えると、シャープペンシルや鉛筆というのには随分と無駄な時間を使ったものだ。
 子供の頃の話。

 消しゴムというのがご丁寧にあったから、書いたものを修正するということで、なんでも消したり書き直したりしたものだ。
 あれはムダだったと思う。
 すぐに気がついてボールペンだけを使うようになった。


 子供心に社会を知り、世の中は取り消し線で済ませられるということが分かる。
 そしてそれが身につくようになって、ボールペンを多様するようになった。

 間違いはそれとわかるように取り消せばいい。今はパソコンでも取り消し修正の装飾が使われる。


 万年筆もその頃はまだ持っているぐらいで使いこなすことはなかった。
 歳をとっても万年筆はサインぐらいには使うぐらい、正式な書類なんかに記念につかうぐらいだった。
 この昭和の時代、モンブランの万年筆がステイタスになったとは思わないが、ちょっと大人の気分はしたかも知れない。


 そのうちインクが溢れて服が汚れたり、乾いたインクで使い物にならなかったり、いざという時の使い道としては頼りにならない気がしてきた。

 本当は道具なのだから大事にメンテナンスしてやれば問題はなかったはずのだが、筆記用具ごときと、だんだんと存在は軽くなっていった。


 結局、筆記具は、「取り消し線」というものに尽きるんではないかという気がする。

 人生は取り消せば残ってしまう。離婚のバツがそれだ。


 子供たちにはまだ間違ったものは消してやり直せるということを教えていた。
 それは間違っていた。

 早めに取り消し線を覚え、メモや走り書き、それこそ講義ノートを取るということなんてさっさとやったほうがいいと、誰もが早く気が付くべきだった。

 これに気が付いた子とそうでない子との差は開いたろう。

 体裁を気にしながら間違いを消して直す。
 誰がみるわけでもないのに。


 あの消しゴムの習慣は、残酷なほど子供たちに差をつけたことだろうと思う。

 そうして、そういう子供は万年筆を知らないまま歳をとったはずだ。

 そんな大人は、使い物になるような人間ではないはずだ。

 


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