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rollitup 広告批評

  古い広告を批評するブログです。  前から続けてきた本家ブログからコンテンツを切り離すことにしました。  広告デザインを評論したり、古い広告を見ながら感じたことを書いています。 昭和の思い出と振り返り、記事は最新の更新です。   広告写真はクリックすると別ウィンドウで拡大できます。

2019年12月

ドギツイ色というのが過去の本来の姿かも


西郷輝彦

 なんだか恥ずかしい色のクルマ。
 プラモデルじゃないのこれ?ww プラモデルってのも死語に近いけど。
 「グランダム」? これって「ガンダム」の元ネタ?
 まさか違うだろうが(笑)。

 しかし今、これと同じものがもしピカピカの状態であったら逆に価値があるかも知れない。
 タレントは西郷輝彦。このクルマの色に負けずに顔が濃い。



 よく、古い昔を「セピア色」だと言う。
 しかしこうやってその当時のものをいきなり見せられると「どぎつい」ってしか感じない。

 過去が「セピア色」なのは、振り返った我々の心が郷愁に染まっているからで、過去というのはむしろドギツイ色をしたものなのかも知れない。 見る目によって物事は違う。
 過去ってのは、実はまがまがしくて生々しくて、鮮明過ぎるぐらいなのかも知れない。

 キリストの時代も、戦国武将の時代も、産業革命の真っ黒な煙も、
 当時そのときはドギツイくて、ロンギヌスに垂れた鮮血はその色そのままに、刀の輝きはまぶしいばかり、石炭の黒は漆黒だったのだ。

 まあ、現在にいる我々がそれを見るには、タイムマシンでもなきゃわからないが(笑)。

 そういう「過去の価値を買う」ってことなら、いいお金の使い方かも知れない。
 こういうビンテージというか骨董というか、こんなクルマだったら金を出してもいいかもしれない。
 
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Gジャンって言葉はもう死語なのか

ウエストライン

 
 もう今の若い連中は「ラッパのズボン」など知らないだろう。
 昔の昭和の広告写真だが、なんだか髪の毛のボリュームが今よりあった気がするwww。

 カミシモのような巨大な襟、ウエストの位置が妙に高い。すべてが今と違う。


 学生時代のことだった。
 成人式の行ってきたとかで、晴れ着を着て大学にやってきた女子がいた。
 外国人留学生の前でヒラヒラと回って見せて、自慢していた。

 俺もその輪の中に混じっていて、キレイなもんだろ、これはシルクなんだぜ、なーんて留学生に言ってやり、着物を褒めてあげた。
 帯はハヤリのフクラスズメにしていて、袖はまだ若者らしく長い。
 髪もセットして、たいした熱の入れようだった。
 留学生にとっては間近に見る着物はそれは珍しいことだろう。





 ふと、「でも、ちょっとこれオハショリが長くない?」って言ってしまった。
 ちょうどこの広告のジーンズ,腰の位置みたいな感じに見えたのだ。
 少し帯からでているオハショリがちょっと長いかなと思った。
 着物はサイズがない。だから背が低いと「ハショる」。これをオハショリと言うのだが、あまりそれが長く見えていると小さい背が強調されてしまう。
 言ってみればチンチクリンに見える。
 この広告写真と同じで、ウエストのクビレなんかを見せないのが和服だ。
 だからオハショリはいくら厚くなってもいい。
 出ている長さの調節が肝心というだけだ。

 しかし、これを言ったら怒ったのなんの。
 もう、頭から湯気を出して激怒していた。
 お母さんが着付けしてくれたらしいが、わけも分からず怒って頬を膨らませていた。
 ご本人は「オハショリ」ってまるで分からなかったらしいけどwww。

 別に意地悪のつもりで言ったわけではなかったんだけど(笑)。

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嗚呼、香港よ


香港

  まだ自由だった香港を知っている人なら、当時の香港のその猥雑さは分かると思う。
 俺はクーロン城にも入り込んだことがあった。

 この広告では食、舌が中国文化なのだとしている。
 どんなに専制政治や圧政、独裁が続いた時代があっても、胃袋だけは残された最後の自由だった。
 それが中国の食文化の真髄なのではないか。
 そんな風に考えたら言い過ぎだろうか。

 今はどんどん香港返還時の約束は反故にされ、一国二制度なんてものが幻想であったことが明らかになってきた。




 言うことを聞かないやつは突然逮捕拘留され、拷問を受けるのだ。

 この写真にあるように、欧米人が我が物で豪勢な食事をしていることに嫌悪したなんて、可愛いものだったのだ。
 中国が本来の中国の歴史と民族であったような場所が香港だった。

 本土では毛沢東なんて独裁者が多くの国民をせっせと殺した。
 習近平はその信奉者でもある。


 戦わねば自由はない。
 気取った欧米人が楽しんだ香港、その当時でも、影では血の涙を流しながら舌鼓を打つことが生きる証なのだと食文化を築いていった人々がいたのだ。
 人は奴隷状態に決して甘んじることはない。


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クラシックカーという贅沢


 よく言われたことだ。古いものを大事にし、カネをかけ、エスタブリッシュメントとしての責任を果たすことが遊びにつながるということ。
 最上の贅沢とは責任を果たすことなんだ、そうした呟きが聞こえた時代はあった。
 ツイッターなんかじゃない。そういう独り言にまだ匂いがあった時代の話だ。

 クラシックカーのオーナーとなるのはその象徴なんだと言えた。そんな主張が通用した時代はあった。
 派手すぎれば呑気な若旦那になってしまいみっともない。そのバランスも大事だった。

クラシックカー


 子供っぽさは自分の中の遊びの部分であり、自身の中にそれを見守る大人がいるのだと。
 カネと時間の使い方を知らない奴は無駄な生き様を晒しているだけの無能なのだと。

 カネがあるなら趣味人たれ、そんな風に言われた時代は遠い。
 

 しかしそれは、考えてみればそんなに大きなカネじゃなかったからできたことだ。
 IPOで分不相応にカネができて、月に生きたいだのアイドルを奴隷にしただのと、まるで宝くじに当たったように醜態を晒しかないのもいる。
 連中のクチにするものは我々とは比べくもない、実に哀れなものだ。「目黒のサンマ」のような滑稽さしかない。 

 こう考えると、クラシックカーも今は嫌らしい趣味でしかなくなった気もしてしまう。
 責任と言えばやることは山ほどある。小さなことで悦に入ってるようでは無駄なばかりだ。あり余るカネも使い道がないのでは紙くずだ。




 カネと時間の使い方を知らない奴は無駄死に。これは今でも生きている教訓だ。
 
 
 まだこんな時代は、「金持ちの放蕩息子」と言えども、カッコよく生きれたのだろうか。

 高須先生は慈善に目覚めたという。「地球で一番金持ち」というジェフ・ベゾスがどんなクルマで遊んでいるかは知らない。
 格差の挙句、使えるとこなどなくなって、日本もそうなってゆくしかないんだろうか。

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